AKIRA Kazuki
「似て非なる」と「非で似なる」は似て非なるものか? 三井 知行 2020年は東京オリンピック・パラリンピックの年である。今や野老朝雄(ところ あさお)によるエンブレムもすっかり定着した感があるが、その決定に際して一悶着あったことは多くの人が覚えているだろう。私は佐野研二郎(さの けんじろう)デザインによる旧エンブレム案に愛着があるわけではないが、この時の報道とバッシングに見られるデザインやオリジナリティに対する誤解や認識の浅さには辟易したものである。デザインとアート、独創性と奇抜さ、方法と目的…さまざまな「似て非なるもの」が混同され、その部分はほとんど議論されずに事態は推移して行った。まあ、和田義彦(わだ よしひこ)盗作事件(どれだけの人が覚えているか)でも佐村河内守(さむらごうち まもる)の時も議論と言える議論はなかったのだが…。 今更こんな話を持ち出したのは他でもない、明楽和記(あきら かずき)の作品展開が、現代におけるオリジナリティの複雑さを興味深い形で炙り出しているように思われるからだ。 明楽は最近の現代美術家らしく、特定のメディアや技法に依拠することなく多様な作品を展開してきている。その多くはパッと見おもしろく、あるいはアイディアが興味深いものなので、現代的な表現に慣れている人ならそれほど抵抗なく楽しめるだろう。一方で近現代の美術に詳しい人なら、彼の作品が他の美術家の方法や作品を思わせるものであること、おそらくは意図的にそうした作品であることに容易に気づくであろう。 彼自身、大学の恩師である今井祝雄(いまい のりお)や笹岡敬(ささおか たかし)の影響を受け、積極的に自身の制作に取り入れていることを隠さない。特に今井を通じては、本人の活動と作品のみならず、彼がかつて会員だった具体美術協会の作家たちについても吸収している。実際、玩具の犬に描かせた初期作品から最近のアイスクリームを乗せた平面まで、彼の作品から「具体」の匂いを感じることは多い。 もっとも具体の影響を受けた作家なら、より上の世代を中心に関西には数え切れないほどいる。その中には正直「具体を引きずっている」と感じられる残念な人もいるが、明楽の場合はより冷静に、意図的に具体を選択している感がある。一方で現代美術では1980年代の「シミュレーショニズム」の登場以降、アプロプリエーション(引用・盗用)の手法による作品も珍しくなくなった。しかし彼の作品はシミュレーショニズムほどクールに、元の作品・作家から切れた地平で展開されてはいない。 おそらく彼は、具体など先輩作家の活動や作品から方法論を取り出し、少し前に流行った言い回しを借りるなら「やってみた」というくらいの立ち位置で活動している。「似て非なる」という言い方が表面的な類似より本質的な違いを強調する表現ならば、彼の場合は本質的な差異を前提としながらも、敬意を含んで類似を良しとする「非で似なる」という形容がふさわしいように思われる。 明楽のこのような作品のあり方は、おそらく具体会員の中では最年少で、初期会員の「熱い抽象」に比べてかなりあっさりとした理知的な作品展開を同会解散後も続けた今井の影響も大きいと思われるが、ともあれ「オリジナル」とのこの微妙な距離感が彼の「オリジナリティ」を形作っていると考えると興味深い。 ところでこれまで彼の作品をひとまとめに扱ってきたが、本人によると「どのように描くか」を考えていた初期段階から、近年は絵画を成立させる要件ー物理的な構成要素や、心理的・社会的な意味を含む絵画の構造を取り扱うものに変化しているという。逆に言えば、インスタレーションや立体を含む作品展開をしながらも一貫して絵画の問題を扱ってきたということにもなる。 これもまた、後のパフォーマンスやインスタレーションにつながるような活動を展開しながら、最終的に絵画の形に作品を落とし込んだ初期具体の作家たちを思わせることだが、その彼が自らの依って立つ(西洋モダニズム)絵画について考え直した時、その土台にある宗教(キリスト教)を意識し、「日本の宗教」である神道に目を向け絵画と接続しようとするのは当然の成り行きかもしれない。伝統や土着のもの(前近代)に目を向けるのは現代のみならず近代の日本の作家でも珍しいことではない。モダニズム自体に「モダニズムの超克」というモーメントがあり、その動因の一つにオリジナリティの追求があるとすれば、特に外から「近代」を移植した観のある日本などの非西洋・非キリスト教文化圏では、モダニストとしてオリジナリティを求めれば求めるほど自己矛盾に陥ることは容易に予想できる。 しかし、現代作家としてより複雑な「オリジナル観」を持つと思われる彼が、神道をどう作品に取り入れるのか。彼は神主でも民俗学者でも右翼思想家でもなく、今回の個展では、現在知り得る限りでの神道から、自然物崇拝などの限られた要素を取り出して扱っている点には注意が必要だろう。おそらくは神社や神域と御神体の関係を意識した、物質・物体が空間を作者の恣意を離れて変容させる作品が展示されている。 ところで、これまでの明楽の作品を知っている鑑賞者には、今回の出品作品はどれも旧作のように見えるだろう。前回のギャラリー・パルクでの個展でこれまでの活動を総括した作家が、次なるステージの第一歩として臨む個展と聞けば、これまでと全く異なる作品を期待するのは道理である。むしろ興味は、新展開がこれまでのシミュレーショニズム的な方法論の延長にあるのか、そこから変えてしまうのかというところに移ると思うのだが、彼が採ったのは、まさかの「自己シミュレーション」であった。 本人も最初は全く違う作品を、と思っていたようだが、神道と絵画というテーマが明確になったことで旧作を新しいコンセプトで捉え直し、作り直す方向に変化したらしい。そのため作品は元になる(オリジナル?)作品とは少しだが質的な差異があるとのこと。とすれば、今回の作品については「似て非なる」作品ということができるだろう。
SINCE 2013.03.10- Copyright © 2013-AKIRA Kazuki All rights reserved.